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The Human 雑誌 ここは国民としてもしっかり考えるべきだ

菅直人首相としては、原発のない社会を目指す考えを表明しています。これは賛
成できますが、閣内の合意も具体策もなく、反発を受けると、腰砕けに なった
という状況が続いています。この点が心配です。原発政策の行方はいまだに不透
明だといえるでしょうか。福島第1原発事故の過酷な被害を目の 当たりにし
て、広範な地域で住民が放射能という見えない恐怖に脅かされている状況が続い
ています。国民としても考えるべきではないかと思います。




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no politics

個人個人により、考えは違う。
だから、政治家はその内容を比べあって、大衆が一個人を選出する。
この時の個人選びの意義について、我々は深く理解しなくてはならない。

この時、選ばれた一個人の考えは、大衆の考えであると決定される。
かくして、大衆の意思が一個人により明らかにされることになる。
権力の所在とは、そうしたものである。

日本人には意思がない。だが、恣意はある。
我が国の権力者は、恣意の権力者ではあっても、意思の権力者だとは見られていない。
だから、権力者の意思は恣意として当然抑えられる傾向にある。
大衆の意思決定の内容の表れとは信じられていないのである。

首相が短期間にくるくると変わる。政局が安定しない。国家百年の計が立たない。
我が国の政治が混乱するのは、個人と意思に関する西洋的解釈が国民の間に不足しているためと考えられる。
日本社会の混乱は、わが国民の頭の中の混乱の反映である。

カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。 どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)


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